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所長所感

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私は、弁理士になって今年(2023年)で16年が経ち、まもなく17年目を迎えます。弁護士を目指していた時期もありましたが、弁理士になって良かったと今では思っています。

弁理士になり、独立開業して、今まで色々考えてきたことについて、少し述べてみたいと思います。

「弁理士」という職業

弁護士は、日本全国で44,101名(2022年5月31日現在;弁護士会別会員数 )であるのに対し、弁理士は、日本全国で11,371名(弁護士資格での登録を除く)(2023年7月31日現在;日本弁理士会会員の分布状況)です。つまり、弁理士の人数は、弁護士の人数の約25.7%です。

また、弁護士は、小説やドラマ、映画などでしばしば描かれ、最近では、テレビ出演するタレントのような人もいて、訴訟等に関わらない一般の方にもなじみやすいと思います。

これに対し、弁理士は、このような国家資格があることさえ知らない人が多く、いわゆる士業の中では、最も知名度の低い職業と言えるでしょう。理系の人はともかく、文系の人は、「弁理士」という資格や弁理士が行っている仕事について、一度も触れることなく、一生を終える人が大部分ではないかと思われます。私も、大学卒業後電機メーカーに就職し、業務の成果として特許出願するまで、「弁理士」及び「特許事務所」等の存在は知りませんでした。

では、弁理士は、どのような職業なのでしょうか。「特許」、「知的財産」など、予め理解を要する概念が多すぎるため、弁理士の業務について一言でいうことは、難しいですが、特許、実用新案、意匠及び商標等の知的財産に関する特許庁等に対する手続等を代理することです。また、弁理士は、補佐人として弁護士とともに出頭して陳述又は尋問することもできますし、特許権侵害等の特定の侵害訴訟の訴訟代理人となることもできます。

近年、直木賞受賞作「下町ロケット」や惑星探査機「はやぶさ」など宇宙工学が話題になりました。「下町ロケット」や「はやぶさ」では、各種の高度な技術が使用されており、これらの技術は大企業だけでなく、多数の中小企業が開発に関与しています。これらの技術を保護するために特許権を取得することは不可欠です。しかし、この特許権の取得及び保護を主な仕事とする弁理士については、話題になることはほとんどありません。その点が悔しいというか、歯がゆいというか複雑な心境です。

「弁護士」と「弁理士」との違い

弁護士は、刑事事件でも民事事件でも、中立的な立場の裁判官に対して、自分が弁護する被告人若しくは原告又は被告にとって有利な証拠を提出し、有利な裁判結果となるように主張することができます。また、証拠の提出する時期についても、最初からすべての証拠を一度に提出する必要はなく、明らかに遅い場合を除けば、自分の法廷戦略に従って時期をずらして証拠を随時提出することも可能です。

これに対し、弁理士が特許出願等の審査で対応する場合、特許出願等について登録できないというマイナスの心証を既に形成している審査官に対して、この心証を覆して、登録すべきであるというプラスの心証を形成させなければなりません。さらに、審査官の心証を覆すために使用する証拠についても、出願時の書類以外はほとんど使用することはできません。

弁理士が審査官などとやり取りする場合、ほとんど書面を介して行うので、弁舌が立つ必要はありません。しかし、審査官の心証をマイナスからプラスに書面のみで変更させなければならないという点では、弁護士より文章作成能力等が要求されると言えます。

私が「弁理士」になった理由

私は、静岡県西部地方、浜松市浜北区(旧浜北市)の出身です。静岡県西部地方は、ヤマハ株式会社、スズキ株式会社、浜松ホトニクス株式会社等の大企業から、これら大企業の下請け・孫請け等の多数の中小企業まで、数多くの「ものづくり」の企業がひしめいています。静岡県西部地方は、私が生まれた当時、繊維・楽器・オートバイの3大産業が盛んであり、市民の大部分は、これらいずれかの産業に従事していることが至極普通の状態でした。

私は、小中学生時代、廃品とされたテレビなどの電化製品や機械・器具をバラバラに分解したり、鉱石ラジオ、真空管ラジオ、トランジスタラジオ等を組み立てていました。

私の大学生時代と重なる1970年代後半から1980年代は、半導体産業が華やかなりし頃で、私も、半導体素子や半導体回路の研究開発を行いたいと思い、電子工学科に入学しました。

大学卒業後は、関西の電機メーカーのAV機器開発部門に7年間所属していましたが、家庭の事情で関東に引っ越す必要があり、特許業界に転職しました。特許業界に転職してから今年(2023年)で35年になります。

特許業界に転職したのは、電機メーカー時代、比較的自由な雰囲気の中で研究開発を行うことができたため、同業メーカーに入った場合、前職と比較してしまうおそれがあったことと、もともと読書や文章を書くことが好きで文系と理系の両方に関係した仕事を行えると思ったからでした。

また、企業の開発者、技術者であれば、会社から与えられた極狭い範囲の技術分野の仕事しかできませんが、特許業界では、より多くの、しかも最先端の技術にいち早く間近に触れることができることも、この仕事を選んだ理由の1つです。おかげで、半導体、電子回路、液晶、有機ELや信号処理といった電子情報関係の発明から、生活用品等の生活に密着した発明、さらには掃海艇やパッシブソナー等の国防的な発明まで幅広く経験することができました。